藤田田物語④アメリカの犬にはならず。日本マクドナルド成功の理由
凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前にあり
■藤田と『ユダヤの商法』
日本人は、熱しやすく、冷めやすい人種であるといわれる。戦前、「鬼畜米英」と叫んでいた日本政府・国民は、敗戦で手のひらを返したように親米に傾いた。そして、91(平成3)年には、世界一の債権大国となって、米国をみくびる風潮が台頭していた。
これは日本が島国で、国民の視野が狭いことから起こる問題である。日本人が本当の意味で国際化していくのには、少なくとも外国語を2か国語しゃべれる人間をたくさん世に送り出すことが必要であろう。藤田は、英語とドイツ語の2か国語をマスターしたことで、国際的な視野から物事を発想することができた。ここに藤田の並みの日本人にはないスケールの大きさ、強さの秘訣があった。
「井戸水の温度は、夏は冷たく、冬は暖かく感じますが、温度そのものは一定に保たれています。これと同じで、人間の生き方とか信念というのは、時流に迎合してコロコロ変わるのではダメだと思います。時代がどう変わろうと、人間の生き方とか信念というのは変わってはダメなのです。起業家であれば常に事業を世の中のため推進するんだという、終始一貫した強固な価値観を持っていることが大切だと思います。私にとってはそれがユダヤ人の5000年の哲学であり、『ユダヤの商法』でした」(藤田)
藤田はこう続ける。
「所詮、人生というのはなるようにしかならないものだなと思います。それは無理をして、自分の意志で捻じ曲げようとしても、決してうまくいくものではありません。私は、肉親の死を始め、同時代人の多くの死にも立ち会ってきました。そういった体験から、確信をもっていえることは、人間には、裸で生まれて裸で死んでゆくという単純な事実しかないということでした。そうであるならば、今現在を精一杯生きてゆくこと、それが結果として金儲けにつながるのかもしれませんが、金儲けというのは、結局は目的ではなくチャンスを得るための手段ではないかと思います。確かに私も若いころは、100万円を貯めるのが最大の目的のような時期もありました。けれども貯まってみれば、それは次のステップのための手段でしかなくなったのです。要は、目標を持って、1日1日を粘り強く生きていくことに、金儲けの本質があるのではないでしょうか」(藤田)
さらに藤田はこう付け加えた。
「またこんにち、日本マクドナルドが2000億円を超える企業に成長し、私が〝アントレプレナーのアイドル〟と持ち上げられるのも、一貫してマクドナルドの創業者であるレイ・クロックのビジネスで成功するための3原則『be daring be first be different』を守ってきたからだと確信しています」(藤田)
ちなみにクロックの3原則とは、「勇気をもって、誰よりも早く、人とちがうことをやれ」という意味だ。アメリカの思想家・哲学者・作家のラルフ・ワルド・エマーソン(1803-82年)の格言だ。レイ・クロックはエマーソンのこの格言を教訓にして、マクドナルドを世界トップのファストフード企業に育てた。
藤田もレイ・クロックが愛した3原則『be daring be first be different』を守って、日本マクドナルドを成功させたのである。
藤田の発想の根底には、「人間は裸で生まれて裸で死んでいく」という東洋的無常観が存在した。そして藤田は「ものごとは生々流転、常に変化しある種の矛盾を克服していくことで進化する」と考えていた。
藤田は義理・人情に厚い東洋的無常観と、合理主義の権化であるユダヤ商法とを融合させた。この東西古今の価値観を「弁証法的手法」でさらに高いレベルで調和統一した。それこそが〝不世出の起業家〟藤田田のハンバーガー・ビジネスであったといえるのである。